みんな貧しく真剣に生きた美しい昔の行田、タイムスリップ!

古代蓮行田昔ばなし 十三七つ

行田昔ばなし 十三七つ

第一話 なっとなっとなっとー

作者不詳 北谷住人


 小林君は体の悪いお父さんと二人で小さな家に住んでいた。信吉(しんきち)が時折遊びに行くと、垢(あか)じみた着流しを着ていつも横になっているようだった。おじさんの目はくぼみ、頬がこけて、顴骨(かんこつ:ほおぼね)が張り出している。二の腕までつまんだ着物からは、病的な青白い細い腕がはみ出していた。
 信吉が行くと起きてきて狭い土間に降り、七輪にやかんをかけると新聞紙で火をおこしてお茶を入れてくれた。やかんはすすで黒光りしていびつになっていた。ゆがんだ蓋は閉められないままに火にかけた。湯がたぎってくると口元のかけた万古(ばんこ)の急須に、熱くなったやかんのつるを雑巾で持って湯を注ぎ、古九谷(こくたに)の縁の欠けた茶碗に茶を入れて出してくれる。
 茶の葉はいつ入れたのか、色もなく底まで見えて白湯(さゆ)に等しい。口元に持っていくとかび臭い匂いが漂っていた。信吉はおじさんがいつも大人と同じように振舞ってくれるのが嬉しかった。
 おじさんは結核で二年ほど寝込んでいる。当時は肺病になったら必ず死ぬと言われていたので、患者のいる家の前は鼻をつまんで駆け足で通るほど嫌われていた。
 おじさんは自宅で足袋の仕上げを下請けしている職人だったが、病気になってからは仕事もできなくなり、小林君が納豆売りに出たのはその頃、信吉が四年生の時だった。
納豆売りは朝の仕事で、今では朝に晩にご飯を炊くが、当時は朝一度ご飯を炊けばいい方で、朝食に納豆を買ってくれるが、夕方は売れなかったと話していた。彼は雨の日も風の日も売り歩いた。
「なっと なっと なっとー」
「なっと なっと なっとー」
 右肩に担いだかごに納豆を入れ、首を45度に曲げてうつむき加減に道を小さく歩く、冬の日の彼のすがたは今も目に浮かぶ。みんな貧しく真剣に生きていた。だますこともだまされることもない美しい時代だったと思う。
「なっと なっと なっとー」
「納豆屋さん。いくつ残っている。みんな置いていっていいよ」
 菅波さんの家では、女中さんが出てきて残った納豆を毎朝買ってくれた。
小林君が納豆を売りに出たのは、家計を支えるためだった。二人だけの生活でも、子どもの働きで家族を支えることはできない。彼のおかあさんは木崎の製糸工場に住み込みで働いていた。小林君はなぜか母親の存在を否定し最後まで話すことはなかった。彼のおかあさんが毎月仕送りをしていたことは知っていた。
 小林君は一人になるといつも歌っていた童謡がある。
「おかあさんっていいな 僕のかあさんいないけど 呼んでみたいな おかあさん」
 誰の作った童謡かわからないが、それだけを何度も口ずさんでいた。
 凍てついた月に照らしだされた町並みに、コールタールを塗ったトタン屋根がまぶしいように光り輝いている。前の晩に缶に仕込んだからしをかごに入れると、霜柱をさくさくと踏んで納豆を仕入れにいく。彼の童謡がはじまる。
「おかあさんっていいな 僕のかあさんいないけど 呼んでみたいな おかあさん」
 彼のお父さんはそれから2年目に亡くなった。そして、間もなくおかあさんも亡くなった。小林君の消息を知る人はいない。


※「十三七つ」とはまだ若いことです。
※古代蓮タウンでは「十三七つ」の作者を探しています。お心当たりのある方は電話080-5508-7285までご連絡ください。

第二話 しょうどん

作者不詳 北谷住人


 信吉が子どもの頃、しょうどんという丁稚(でっち)がいた。しょうどんは十二、三才で信吉がどこへ行くにも、必ず後についていた。
 手先が器用な子で祭り近くなると、信吉が乗れるほどの山車を作って、近所の子どもたちに町内を引かせて歩くことを自慢していた。山車は豪華に作られて、子どもが作ったようなものではなかった。
 山車の車、囲いは硬い材料の欅(けやき)を使い、柱から屋根にかけては柔らかい朴(ほお)や杉の材料を使った。古着屋で捨てられるような古代衣装を貰って囲いにし、屋根上の幟(のぼり)には鍾馗(しょうき)の雛人形を立ち上げたから、祭りの山車にも引けをとらない出来栄えだった。その中でも左右の昇り竜、下り竜は傑作で何ヶ月もかけて夜なべに仕上げたものである。
 竜の作品はいつも肌身はなさず懐に入れて、紙やすりで暇にまかせて磨いていた。しょうどんは信吉についているだけで、これといった仕事はない。頼まれれば使い走りもしていたが、一人でいるといつも唄っていた歌があった。
「お月さまいくつ 十三七つ まだ年ゃ若いな・・・」
「お月さまいくつ 十三七つ まだ年ゃ若いな・・・」
 しょうどんの出生は分からない。母親は新地(新しく開けた土地)にいた女性で、荒川土手で殺されたと聞いていた。身寄りがなく家で引き取ったと聞いたことがある。そのしょうどんが家を出ていく日が来た。しょうどんは泣きながら畳に両手をついておじいちゃんに謝っていた。
 しょうどんは裏庭の桐の木の根元に大きな青大将を飼っていた。信吉は見たことはなかったが家のものに発見されて大騒ぎになった。
「いつから飼っていたんだ」
「ずーと前から、俺のかあちゃんなんだ。毎日ご飯持って行くんだ」
「へびがおかあちゃんっておかしいじゃないか。あのへびを川に流さないうちは、家の中に置いておくわけにはいかない」
 おじいちゃんは顔色を変えて怒っていた。しょうどんのおかあさんは巳年生まれで、小さいとき母親を亡くしてからは、へびを見るとおかあちゃんがいると思うようになっていたという。その日しょうどんは大きな青大将を風呂敷に包んで懐に入れると黙って家を出て行った。
「お月さまいくつ 十三七つ まだ年ゃ若いな・・・」
「お月さまいくつ 十三七つ まだ年ゃ若いな・・・」
 しょうどんはその先の歌詞は知らなかったのか、山車を引くときも昼間なのに口ずさんでいた。いつも側にしょうどんが立っていて、砂利道をがたがた音を立てて引かれる轍音(てつおと)が耳に残っている。
 信吉が東京の学校に行くようになってから、しょうどんは一度たずねてきた。素足に雪駄(せった)をはいて太い絞りの帯を締めていた。
「ボン、大きくなって、みなさんもお元気で、ご無沙汰してます」
「しょうどんか」
「へい」
 信吉はしょうどんに、紫の袱紗(ふくさ)に包まれた分厚い札束を渡されたが、受け取らなかった。
「ボン、覚えてますか」といって、口ずさんだ。
「お月さまいくつ 十三七つ まだ年ゃ若いな・・・」
「お月さまいくつ 十三七つ まだ年ゃ若いな・・・」
 その後、しょうどんの消息はわからない。

25-02-10